第1次産業革命とマーケティングの黎明:「12のイノベーション・ウェーブ」で読み解く蒸気と鉄道の衝撃
- 本間 充/マーケティングサイエンスラボ所長

- 4 日前
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はじめに:マーケティングは「技術」の上に成り立っている
私たちマーケターは、日々の業務において「顧客心理」や「市場トレンド」を追いかけることに熱心です。しかし、ふと立ち止まって考えてみてください。なぜ今、私たちはSNSで商品を宣伝できるのでしょうか? なぜ、全国翌日配送が可能なのでしょうか? その答えはすべて、過去の「技術革新」にあります。 歴史を振り返ると、マーケティングのパラダイムシフトは、常にテクノロジーの進化と共に起きてきました。本ブログシリーズでは、産業史を「12のイノベーション・ウェーブ (The 12 Innovation Waves)」という独自の視点で区分し、各時代の技術がいかにしてマーケティングの定石を変えてきたのかを解説していきます 。
シリーズ第1回となる今回は、すべての始まりである「第1次産業革命期」に焦点を当てます。機械化と動力の変革が、どのようにして商売の形を変えたのか。その原点を探る旅に出かけましょう。
1. 「12のイノベーション・ウェーブ」の第1波:蒸気と工場の時代 (1780年代 ~ 1810年代)
マーケティングの歴史を紐解くとき、最初の波として挙げられるのが「蒸気と工場」の時代です 。
生産者志向(プロダクトアウト)の絶対的支配
この時代の最大の特徴は、マーケティングの主導権が完全に「生産者」にあったことです。現代では「顧客志向(マーケットイン)」が当たり前ですが、当時は「いかに顧客に合わせるか」ではなく、「いかに安く、いかに多く作るか」が最大の課題でした 。 なぜなら、当時の社会的なインパクトとして、生産の現場が家庭内で行う「家内制手工業」から、機械を用いた「工場」へと移行したばかりだったからです。需要に対して供給が圧倒的に不足していたため、作れば売れる時代でした。「どう売るか」という悩みはまだ存在せず、技術的な課題解決こそが利益の源泉だったのです。
蒸気機関がもたらした「立地の自由」と「安定」
この時代を牽引した主要技術は、言うまでもなく「蒸気機関」です 。熱力学の知見や鉱山ポンプ技術を応用して生まれたこの動力は、工場のあり方を根本から変えました 。 それまでの工場は水車を動力としていたため、川沿いにしか建てられず、水量(天候)によって生産量が不安定でした。しかし、蒸気機関の導入により、工場は水力依存から脱却しました 。これにより、都市部や港の近くなど、立地が自由になり、天候に左右されない安定的な大量生産が可能になったのです。

製品(Product)と価格(Price)の原型
この時期の工場制機械工業、特に紡績機や力織機の登場は、繊維産業に革命をもたらしました 。蒸気機関を動力源とすることで、**規格化された製品(綿織物)**を、かつてない安さで大量に供給できるようになったのです 。 これはマーケティングの4Pにおける「Product(製品)」と「Price(価格)」の概念の原型と言えます。職人が一つひとつ手作りする「一点物」ではなく、同じ品質のものを大量に作る。そして、それを安価に提供する。この現代の大量生産の基礎が、ここで確立されました。
都市化と販売活動の始まり
社会的な側面を見ると、労働者階級が形成され、都市化が始まりました 。工場周辺には労働者という名の「消費者」が集中し始めます 。 この段階での戦術は「生産=即販売」です。マーケティング戦術と呼べるほど洗練されたものはありませんでしたが、問屋を通じて都市部の小売店に製品を卸す「販売(セールス)」活動がビジネスの中心でした 。地域の商店での対面販売や、問屋を通じた卸売が、当時の代表的な手法でした 。
2. 「12のイノベーション・ウェーブ」の第2波:鉄道と輸送の時代 (1810年代 ~ 1830年代)
工場での大量生産が可能になると、次に立ちはだかった壁は「流通(Place)」でした。第2の波は、作ったものをいかに遠くまで届けるかという課題を解決しました 。
市場の全国化と商圏の拡大
この時代のイノベーションは、「蒸気機関車(鉄道)」と「電信」です。 蒸気機関車は、第1波の蒸気機関技術と、製鉄技術(レール)の組み合わせで実現しました 。これにより、モノとヒトの移動コストが劇的に低下しました。工場から遠く離れた都市へ、安価かつ大量に製品を輸送することが可能になり、商圏は「地域」から「全国」へと飛躍的に拡大しました 。 「市場の全国化」 は、ビジネスの規模を桁違いに押し上げました。地元の小さな市場だけを相手にしていた企業が、一気に全国規模の競争に晒されると同時に、巨大なチャンスを手にしたのです。
電信によるリアルタイム性の向上
もう一つの重要な技術が「電信」です。電気を使った長距離通信技術の登場は、情報の移動速度を馬車や船のスピードから、電気のスピードへと変えました 。 これまでの郵便とは比較にならない速度で、例えばロンドンとマンチェスターのような遠隔地間での受発注や在庫確認が可能になりました 。これにより、商取引のリアルタイム性が向上し、遠く離れた市場の状況を把握しながらビジネスを行うことが可能になりました。

広域流通戦略の幕開け
社会的なインパクトとして、人々の時間と空間の感覚が大きく変容しました 。 企業は、鉄道事業や海運業と提携し、全国規模での卸売ネットワークを構築することに力を注ぎました。これが当時の「広域流通戦略」であり、企業の競争優位性を決定づける要因となりました 。 現代の私たちが当たり前のように行っている「全国配送」や「在庫管理」のルーツは、この時代の鉄道と電信のネットワーク構築にあるのです 。
まとめ:技術が「作る」と「運ぶ」を変えた
第1次産業革命期における「12のイノベーション・ウェーブ」の教訓は明確です。技術革新が、まず「生産(安く大量に作る)」を解決し、次に「流通(遠くへ運ぶ)」を解決したということです。 マーケティングの変遷は、常に技術的な制約が取り払われた場所に新しい市場が生まれることで進んでいきます。次回は、第2次産業革命期、製品に「色」と「質」が生まれ、そして「マスメディア」が登場する時代を見ていきましょう。




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